講座 なぜ日本はヨーロッパの植民地にならなかったのか?―戦国日本と大航海時代―
本日20211017 宮城県中央部在住
本日 東北歴史博物館友の会主催講演会が開催されたので聴講しました。
講師:平川新(東北大学名誉教授)
演題:なぜ日本はヨーロッパの植民地にならなかったのか?―戦国日本と大航海時代―
氏は「戦国日本と大航海時代―秀吉・家康・政宗の外交戦略―」(中公新書)で、2019和辻哲郎文化賞を受賞されています。
(以下の感想等は私自身の感想等であり、氏の講演内容を正確に表わしていない可能性があることをお断りします。)
〇15世紀半ばからの「大航海時代」で、ポルトガルやスペインによる全世界的な植民地支配が活発化した。
〇両国は、互いの衝突を避けるため、1494年「トルデシリャス条約」1529年「サラゴサ条約」を結び、世界を二分して治めることとした。
※両条約については初めて聞いた気がします。(世界史で習ったかもしれませんが、記憶にありません)
〇上記の世界情勢下にあって、1543年にポルトガル人が種子島に来着する等イベリア勢力(ポルトガルとスペイン)と日本との接近・接触が始まった。
〇サラゴサ条約時においては、もはやアジア・南北アメリカ他全世界の未開発地域が植民地の対象になっている。
〇日本においても例外ではなく、宣教師たちが来日し、日本の植民地支配・日本征服の野望が進められることになった。
〇しかし、例えば豊臣秀吉はそのような野望を見抜き、それに対する対抗策を考えることとなった。
〇(秀吉時代)対抗策の一環として、朝鮮出兵を実行し・スペインに対しマニラ征服を示唆する。
〇(家康時代)西国大名に偏っていた南蛮貿易に対し、東国の家康や政宗が海外貿易の主導権を得るため、家康は伊達政宗による支倉常長派遣を事前に了承していた可能性がある。
〇しかし、メキシコとの貿易は困難であるとの結論に至り、支倉常長帰国後全国に禁教令を強化した。(布教による世界征服戦略を捨てないスペインと断交!)(布教を許して貿易が出来ないのであれば日本にメリットはない)
〇世界を席巻したカトリック(ポルトガル、スペイン)勢を日本から追放しプロテスタント(オランダ、イギリス)勢も日本のコントロール下に置くことが出来た。いわゆる鎖国である。
〇「鎖国」とは、日本主導の貿易統制と出入国体制のこと。
〇結果的に「軍事大国としての日本をヨーロッパ列強が認めた」こととなる。
〇その後オランダ、イギリスに対し「日本近海での海賊行為を禁止し両国が従う」等、日本の軍事力を他国が認め徳川政権の外交力が成功することとなる。
以上 約2時間の講演の「感想」というか(おこがましいですが)「要約」でした。午後の眠りを誘う時間帯にもかかわらず眠気を全く覚えない充実した時間でありました。
多分、氏の著作に、より詳しく述べられていることと存じます。
なお、JR東日本の「東北歴史文化講座」というオンライン講座「大航海時代と政宗の智略~慶長遣欧使節と鎖国をめぐる秘話〜」で、ほぼ同内容の氏の講座を聞くことが出来ます。
(思うこと)
〇日本の朝鮮出兵や宗教的虐殺、他国への侵攻が批判を受けることがありますが、15世紀以降の未開発地への武力・宗教的侵攻や植民地支配、奴隷化を考えると、その時代時代の国ごとのいわゆる「正義」について考えざるをえません。
〇キリスト教布教を許し、宣教師や信徒を放任していたら、日本は植民地化されていたかもしれません。奴隷にされていたかもしれません。
〇当然ですが、大航海時代以前にも武力侵攻や虐殺、奴隷化があったわけです。
本日 東北歴史博物館友の会主催講演会が開催されたので聴講しました。
講師:平川新(東北大学名誉教授)
演題:なぜ日本はヨーロッパの植民地にならなかったのか?―戦国日本と大航海時代―
氏は「戦国日本と大航海時代―秀吉・家康・政宗の外交戦略―」(中公新書)で、2019和辻哲郎文化賞を受賞されています。
(以下の感想等は私自身の感想等であり、氏の講演内容を正確に表わしていない可能性があることをお断りします。)
〇15世紀半ばからの「大航海時代」で、ポルトガルやスペインによる全世界的な植民地支配が活発化した。
〇両国は、互いの衝突を避けるため、1494年「トルデシリャス条約」1529年「サラゴサ条約」を結び、世界を二分して治めることとした。
※両条約については初めて聞いた気がします。(世界史で習ったかもしれませんが、記憶にありません)
〇上記の世界情勢下にあって、1543年にポルトガル人が種子島に来着する等イベリア勢力(ポルトガルとスペイン)と日本との接近・接触が始まった。
〇サラゴサ条約時においては、もはやアジア・南北アメリカ他全世界の未開発地域が植民地の対象になっている。
〇日本においても例外ではなく、宣教師たちが来日し、日本の植民地支配・日本征服の野望が進められることになった。
〇しかし、例えば豊臣秀吉はそのような野望を見抜き、それに対する対抗策を考えることとなった。
〇(秀吉時代)対抗策の一環として、朝鮮出兵を実行し・スペインに対しマニラ征服を示唆する。
〇(家康時代)西国大名に偏っていた南蛮貿易に対し、東国の家康や政宗が海外貿易の主導権を得るため、家康は伊達政宗による支倉常長派遣を事前に了承していた可能性がある。
〇しかし、メキシコとの貿易は困難であるとの結論に至り、支倉常長帰国後全国に禁教令を強化した。(布教による世界征服戦略を捨てないスペインと断交!)(布教を許して貿易が出来ないのであれば日本にメリットはない)
〇世界を席巻したカトリック(ポルトガル、スペイン)勢を日本から追放しプロテスタント(オランダ、イギリス)勢も日本のコントロール下に置くことが出来た。いわゆる鎖国である。
〇「鎖国」とは、日本主導の貿易統制と出入国体制のこと。
〇結果的に「軍事大国としての日本をヨーロッパ列強が認めた」こととなる。
〇その後オランダ、イギリスに対し「日本近海での海賊行為を禁止し両国が従う」等、日本の軍事力を他国が認め徳川政権の外交力が成功することとなる。
以上 約2時間の講演の「感想」というか(おこがましいですが)「要約」でした。午後の眠りを誘う時間帯にもかかわらず眠気を全く覚えない充実した時間でありました。
多分、氏の著作に、より詳しく述べられていることと存じます。
なお、JR東日本の「東北歴史文化講座」というオンライン講座「大航海時代と政宗の智略~慶長遣欧使節と鎖国をめぐる秘話〜」で、ほぼ同内容の氏の講座を聞くことが出来ます。
(思うこと)
〇日本の朝鮮出兵や宗教的虐殺、他国への侵攻が批判を受けることがありますが、15世紀以降の未開発地への武力・宗教的侵攻や植民地支配、奴隷化を考えると、その時代時代の国ごとのいわゆる「正義」について考えざるをえません。
〇キリスト教布教を許し、宣教師や信徒を放任していたら、日本は植民地化されていたかもしれません。奴隷にされていたかもしれません。
〇当然ですが、大航海時代以前にも武力侵攻や虐殺、奴隷化があったわけです。
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